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マフムード1世 (セルジューク朝) : ウィキペディア日本語版 | マフムード1世 (セルジューク朝)[まふむーど1せい]
マフムード1世(アラビア語 محمود Maḥmūd、 ناصر الدنيا والدين محمود بن ملكشاه بن ألب أرسلان Nāṣir al-Dawla wa al-Dīn Abū al-Qāsim Maḥmūd b. Malik Shāh b. Alb Arslān:1089年 - 1094年11月)は、セルジューク朝の第4代スルターン(在位:1092年11月 - 1094年11月)〔在位に関しては異母兄のバルキヤールクと並立していたとされる〕。 == 生涯 == 父は第3代スルタンのマリク・シャー。生母はカラハン朝のアブー・ムザッファール・イブラーヒーム・タブガチ・ボグラ・ハンの娘である。テルケンはマリクに寵愛された妃で権勢を持っていた。 1092年にマリク・シャーが38歳の若さで急死すると、マリクの最年長の息子であるバルキヤールク(マフムード1世の異母兄で当時12歳)が後継者の最有力候補であったが、生母テルケンの強引な画策により異母兄を差し置いて即位した。だが1094年11月に天然痘のためわずか6歳で病死した。
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